毎年、夏になると悩まされる物、少し目を離すとグングンと成長し、ものの数日であっという間に成長を遂げる。あなたの成長力に関心するも、ため息が出てしまう。
夏の悩みの種【雑草】です。一週間前に、草取りしたばかりののに、すでに生えてきておる。(汗)草むしりが好きな人なんているのか?と思っていたら、天の声が聞こえてきた。
「雑草という草は、ない」そうです、現在、NHKで放送中の連続ドラマ小説「らんまん」の主人公のモデル牧野富太郎先生が、仰っていました。
よく見ると雑草と一括りに呼んでいた草達も何百種類とあり、一つ一つ形が違う。抜きやすい草から、地中深く根を張る草、この草の名前がわかれば、草むしりが楽しくなるのでは?
と少し興味が湧いてきましたました。というわけで練馬区にある牧野記念庭園に行ってきました。
住宅街の中に、少し大きな公園のようにありました。草木に囲まれた庭園を入ると、草木の声がする。牧野先生に愛された草木達は、訪問者を歓迎するかのように生えていました。
生涯を植物学に費やした牧野富太郎先生の人生観を考察
牧野富太郎先生は、日本の植物学者で、「日本の植物学の父」と呼ばれるほどの偉大な業績を残しました。高知県出身で、幼少から植物に興味を持ち、独学で植物の知識を身につけました。旧制小学校を中退した後も、植物採集や観察に没頭し、多くの新種を発見し命名しました。94歳で亡くなる直前まで、日本全国を歩き回って膨大な数の植物標本を作製しました。
牧野富太郎先生は、自分の好きなことを人生に捧げる喜びを感じていたと思います。彼は「植物は自分の恋人だから、恋人に会いに行くときは正装をしていく」と言っていました。また、「植物は実地の研究が一番大切です」とも言っていました。彼は植物に対する敬意と愛情を持ち、その美しさや不思議さに魅了されていたのでしょう。
牧野富太郎先生は、周りを気にしない人物像だったとも言えます。彼は自分の研究に没頭するあまり、実家の酒造業や経済的な問題に無関心だったと言われています。また、当時の学界や社会の常識にとらわれず、自分の信念を貫いていました。彼は自分の道を進むために、多くの困難や挫折にも立ち向かってきました。
牧野富太郎先生は、現代における拝金主義を異とする人物だったと思います。拝金主義とは、金銭を最上のものとして崇拝することで、より多く儲けることや金をため込むことを目的とする考え方です。拝金主義は、利己的で欲深い態度や行動を生み出し、社会的な不平等や不正義を招く問題点があります。牧野富太郎は、金銭ではなく植物に価値を見出し、その研究や普及に貢献しました。彼は金銭よりも自分の情熱や使命感に従って生きたのです。
植物を愛する男を支える妻 壽衛の存在
小澤壽衛子(おざわ すえこ)さんは、牧野富太郎の妻としてだけでなく、料亭の経営者としても活躍された方です。彼女は明治6年(1873年)に、彦根藩主井伊家の家臣だった父と芸妓だった母の間に生まれました。明治23年(1890年)に牧野富太郎と結婚し、13人の子供を産みましたが、そのうち7人が成人しました。
彼女は牧野富太郎の研究費を稼ぐために、渋谷の荒木山に待合「いまむら」を開き、政財界の人々をもてなしました。その後、東大泉に牧野邸を建て、牧野富太郎の研究拠点としました。彼女は昭和3年(1928年)に亡くなりましたが、牧野富太郎は彼女に深い愛情を持っており、彼女が亡くなった後に発見した新種の笹に「スエコザサ」と名付けました。
独学の人 牧野富太郎先生の書斎
自分の信じた道を突き進み、生涯勉強を感じさせられる書斎です。
植物学に一生を捧げた愛の物語
愛する妻 壽衛と、植物に囲まれて牧野富太郎先生は、今もこの地に居ました。目まぐるしく時代が進歩する中、街を行きかう人の中で道端に生えている植物をみる人は、どれだけいるだろうか?ほとんど人は、手に持った機械を見ているであろう。もし牧野先生が今の時代を見たら何と言うでしょうか?
「歩きスマホなどしている暇があったら、目の前の草花に目を向けてみたらどうだ。その中には私もまだ知らない新種が隠れているかもしれないぞ」なんて言うかもしれませんね(笑)
世間の喧騒に疲れたら、植物と会話しに訪れてみてはいかがでしょうか。
出典:「練馬区立牧野記念庭園」
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